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謎の民族『海の民』とは? 古代史上の謎に触れる!

~始めに~二つの暗黒時代

暗黒時代: 歴史上のある一定期間、戦乱、疫病、政情不安定などの原因により、社会が乱れ文化の発展が著しく停滞したような時代を指す。

世界史において暗黒時代として最も有名な時代は、後6世紀から後14世紀までの中世ヨーロッパ暗黒時代であろう。この時代の象徴といえばその暗黒をもたらした「ゲルマン民族」であろうが、その人種の一つに『ノルマン人(ノルド人)』つまり、海を渡って西ヨーロッパ中を大いに蹂躙した『ヴァイキング』がいた。やや大げさだが、中世の暗黒時代は海からやってきた民族によってもたらされたとも言えるのではないだろうか。

そしてもう一つ、中世ヨーロッパと同じく「暗黒時代」と評される時代がある事をご存じだろうか。また、そのもう一つの暗黒時代にもヴァイキングと同じく「海からやってきた民族」が多いに関わっているのをご存じだろうか。しかし彼らがヴァイキングと違うのは、ある時期から忽然と足取りが掴めなくなってしまう点である。その為彼らは長い間謎多き民族とされてきた。

彼らは「海の民」と呼ばれている。その名の由来は出自や活動地域から来ているのだが、その響きには後の時代の人間の、夢と、憧れと、多くの謎が込められている。彼らはいったい何者なのか。何処から来て、何を成し、何処へと去って行ったのか・・・・。

 

~古代オリエント・ギリシャ世界~

まずはその暗黒時代がどの時代のどの場所なのか具体的に見て行く。歴史の探求とはその背景を探ることから始まるのだ。

前4000年頃~前400年頃の中近東。いわゆる古代オリエント世界。その後半である前1500年頃、古代オリエント世界には二つの強国が存在した。世界で初めて鉄器を開発したアナトリア高原の『ヒッタイト』王国と、シリアを巡りヒッタイトと激しく争った『エジプト新王国』である。当時は東地中海沿岸が文化・経済の中心だったのだ。

現在のアジア側のトルコ一帯がアナトリア高原である。エジプトとアナトリア高原の間には広大な土地『シリア』があった。

また、当時のギリシャは『ギリシア神話』の時代である『ミケーネ文明』が発達しており、かの『トロイア戦争』も、ミケーネ文明のギリシア諸都市によって引き起こされたとされている。ちなみに、ソクラテス等の学者によって、学問がギリシアで盛んになるのは500年ほど後の事である。

一見しただけでもなかなかロマンあふれる時代だと思うだろう。しかし、やや時代が下った前1200年頃にはこれらの勢力は既に陰りを見せており、時代は転換期を迎えていた。それら古き勢力に引導を渡す役目を担ったのが、海の民なのである。その際に生じた混乱が、古代オリエント・ギリシャ世界における暗黒時代の始まりとされている。

 

海の民

まず、海の民とは何者なのか、つまり民族の系統は何なのか。だがこの点に関して、まず言っておかねばならない事がある。海の民とは同じ時期に海から侵入を開始したいくつかの民族の連合であり、一概にどの系統の民族とは言い難いのである。第一、海の民とは近年になって定着した呼称である為誤解を招きやすいのだ。

元来、一部の民族に関しては、海の民という曖昧な表現でなくもっとはっきりした形で記録が残っている。個々の民族毎に彼らの活動の足跡をたどれば謎に迫る事ができるのだ。まずは初期の海の民が活発な活動を行った古代オリエント地域、すなわちヒッタイトとエジプト新王国から見ていきたい。

ヒッタイト

海の民による大規模な攻撃はまずヒッタイトへと向けらていた。これは、当時海の民がシリアに進出を始めており、シリアを勢力下に置いていたヒッタイトと衝突した為である。ヒッタイトは青銅製武器が主流であった時代において製鉄技術を独占し強大な軍事力を誇っていたが、その力をもってメソポタミアを統一した時の強さは既に無く、海の民の攻撃によってもろくも滅び去った。アナトリア高原は徹底的に略奪され、首都ハットゥシャはその機能を完全に喪失した。

多くの資料が失われたため詳しい事は解らないが、ヒッタイト滅亡の直接要因が海の民の攻撃によるものであるという事は理論的に証明できる。まず第一に、海の民は次なる標的としてエジプト新王国を攻撃するのだが、これは既にヒッタイトを滅ぼして後顧の憂いを絶っていたからであろう。次にこの時期起こった製鉄技術の普及が挙げられる。鉄器の製造法は長らくヒッタイトが秘密として独占していたが、この時代以後地中海世界に鉄器が普及する。これはヒッタイトを滅亡させた海の民によって広められたのではないかと考えられるからである。

エジプト新王国

最初に海の民とはっきり解る記述が出てくるのは前1200年代末のエジプトである。当時海の民はシリア進出を目論んでおり、シリアに利害のあるエジプト新王国・ヒッタイト両王国に度々攻撃を加えていた。当時の碑文にはリビュア(リビア)人と海の民との連合軍を打ち破った旨が記されている。エジプト新王国はその20年後にも海の民と戦いこれを撃破した。捕虜となった者達は奴隷や傭兵としてエジプト国内やシリアに住むようになったが、これは武力のみで海の民を抑える事が困難となった為ではないかと言われている。エジプト新王国は海の民との戦いで、国としての勢力を保つ事には成功したものの大きく力を落としこれ以後全く振るわなくなる。

この時の海の民を構成していたのは『アカイア人』、『エトルリア人』、『サルデーニャ人』、『シチリア人』等の民族の一派であったようだ。つまりイタリア方面からやってきた『ラテン系』の『インド=ヨーロッパ語族』ではないかと推察される。また、『パレスチナ』の名前の由来とされている民族『ペリシテ人』もこのころシリアに入植したのだが、彼らも海の民の一派とされている系統不明の民族である。彼らはヒッタイトから得たと思われる製鉄技術をもって傭兵として活躍した。

ミケーネ文明地域

ミケーネ文明は現在のギリシャ人の直接の祖である『アカイア(イオニア)人』の文明である。ミケーネ文明時代のギリシアは都市国家、つまり『ポリス』と呼ばれる都市を中心とした小国が乱立しており、それぞれ覇権を争いまた交流していた。しかし相次ぐ気候変動により文明は衰退し、海の民が活発な活動を始めた前1200年代末に文明は終焉を迎えた。

現在ではミケーネ文明滅亡の最大の要因はこの気候変動にあると見られているが、止めを刺したのは海の民等の民族の侵入ではないかと考えている。事実この時期に西・北西方面から異民族が多数ギリシアに侵入しており、その方面の民族といえば先に述べたイタリアの『アカイア人』、『エトルリア人』、『サルデーニャ人』、『シチリア人』等が有名である。この時期を境に歴史資料の極端に少ない暗黒時代が到来するが、全くこれらの民族が関係ないとは言えないであろう。

資料が少ないので詳しい事は不明であるが、衰退したギリシャに海の民はあまり定住しなかったようだ。代わってギリシャに定住したのはやや遅れてやってきたギリシア系の『ドーリス(ドーリア)人』である。また同じアカイア人でも先住のアカイア人であるイオニア人は、勢力を減退させ南に退いたもののいくつかの都市を維持している。以後ギリシアはドーリス人の都市『スパルタ』とイオニア人の『アテナイ』がそれぞれ発達し覇権を競う時代を迎える。

総括

つまり海の民はイタリア方面を出身とするラテン系民族であり、前1200年頃に連合してギリシア、次いでヒッタイト、さらにエジプトに侵入を開始したと見られる。海の民の一分は最終的にシリアに定住しそこに勢力を持ったが、その他の大勢の民族が最終的にどこへ行ったのかは不明である。

結局、最大の謎は海の民の行きつくところについてなのだろう。

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